2015-11-01

大学院の博士後期課程を中退しました

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2015 年 9 月いっぱいで、奈良先端科学技術大学院大学、いわゆる NAIST の情報科学研究科の博士後期課程を中退し、就職することにしました。大学を飛び出して新しい環境で 1 ヶ月がたち、いろいろと思うところがあったので、ここに書き留めておきたいと思います。

なぜ大学を飛び出したのか

なにか大きな理由があって辞めたのではありません。それは小さいことの積み重ねで、かつ幸か不幸か、大学を辞めるのに大きな障害がなかったからです。

その理由や思うところをつらつらと書いていきたいと思います。

精神的にまいった

まず一つ目の理由、わたしは大学院での 2 年半で、精神的にまいってしまいました。

うつ病で何も手につかないほど、とまではいきませんでしたが、その手前くらいまではいってたと思います。あまり外には出さないようにしているつもりでしたが、論文執筆で忙しかった M2 の去年 8〜10 月頃は、外から見てもわかるくらいには疲弊していたようです。

ずぶずぶの人間関係が面倒くさかったので、適度に距離を置く人付き合いをしていた結果、こんなにもセンシティブな内容を相談できる相手はいませんでした。

そのような生活を送っていたので、ゆっくり、ゆっくりと、心身ともに疲弊していきました。

アカデミアの文化が受け入れられない

大学院を辞めようと考え始めるまでは、漠然と大学の教授になることを考えていました。ただ、それと同時に、手を動かしてソフトウェアを作り上げたり、UNIX やプログラミング言語を中心とした、ハッカーカルチャーにも傾倒していました。

大学院に通い始めた頃は、アカデミアとハッカーカルチャーは、ひとりの人間の中に共存できると信じていました。しかし、現実は違いました。アカデミアの文化とハッカーの文化の間には、大きな溝があるのです。

まず、大きな傾向として、アカデミア文化は上には服従が基本スタイルの縦割り社会、ハッカー文化は議論がすべてオープンでフラットな社会です。研究室や分野によって差はあれど、アカデミア文化よりもハッカー文化のほうがフラットなのは間違いないでしょう。わたしにとって、これは受け入れがたいことでした。

以前、論文執筆の効率化のために Git を使うことを教授に提言してみたのですが、煮え切らない回答で、結局メールでの非効率なやりとりに終始していました。この例からもわかるように、基本的に上が NO といえばそれでオシマイです。いい方向に環境をコントロールできないことは、わたしにとって大きなストレスとなっていました。

博士後期課程に進学したら研究テーマを変えるという約束も、有耶無耶のうちになかったことになり、モチベーションは下落の一途をたどりました。

対して、学生の頃のバイト先の IT 系の会社では、アルバイトという身分でありながらも、それなりに責任のある仕事を任されていました。改善すべきことがあれば、それを提言することを良しとする文化がありました。ある程度の上限関係はあれど、ソフトウェア開発の議論においては皆がフラットに意見をたたかわせられました。

上の人間に直接言うのが怖いから、ひたすらに飲み会で陰湿に陰口を叩くような文化に、同調するフリをしながらも心底嫌気がさしていました。

最新の技術動向について気軽に話せる人がいない

わたしも一応、ハッカー文化に傾倒するエンジニアのはしくれですから、最近の技術動向に敏感です。新しいプログラミング言語、新しいフレームワーク、Linux まわりのミドルウェアの発展、どれもこれも大好物です。

大学院という場所は、そこにこんなにも楽しい話題があるのに、それについて会話できる人が、意外と少ないのです。

情報系の学科なので、時にはプログラミングする必要がありますし、教員や学生は概して聡明なので実装力もあります。つまり、日々コードを書いている人間はいるのですが..

ただ、それだけなのです。

はたして、Erlang や Rust、golang の名前を出してピンとくる学生が何人いることでしょうか。わたしの所属していた研究室では、ひとつ下のただ一人の友人を除いて、ハッカー的な思考を持つ人はいませんでした。研究室の飲み会などの集まりの場でも、どうでもいい色恋沙汰などの下世話な話に花が咲いたり陰口を言ったり、内心うんざりするような会が多かったです。

研究職が向いていない

この2年半でハッキリと分かったことは、わたしには研究職が向いていないということでした。大学院を辞める前までは、それを認めるのがイヤだったので意地になっていましたが、M2になったころから薄々気づき始めていたことでした。いろんな教授や教員を目にして、自分があのようになっている、というビジョンが全く見えないのです。

ただ、コンピュータサイエンス自体は好きなので、結局のところアプローチが逆だったのだと考えています。大学院への入学当初は、大学教員になって趣味としてオープンソースにコミットすることを考えていました。それよりも、プロのエンジニアであることを第一にして、趣味でコンピュータサイエンスを学ぶほうが自分に合っているのだと。

逆求人イベント

逆求人イベント。これがわたしの退学への決意を確たるものにした、最後の決定打でした。

サポーターズというサイトで、同じ研究室のひとつ下の友人(先ほども話にあがった、同じ研究室で、唯一技術動向の話ができる良き友人です)に紹介してもらいました。そこで、いろんな IT 企業の方と 1on1 で面談できる機会があり、将来のキャリアを真剣に考えるきっかけになりました。

この時点で研究職に対する希望は薄れていたので、博士後期課程を修了するにしても、IT 系の企業に就職するつもりでした。そして、ここで知ったのは、博士号を持っていたとしても、それが初任給に寄与しない、寄与したとしても微々たるものだという現実でした。つまり、IT系の企業に就職したときの収入という面だけで見れば、博士後期課程で消費する 2〜3 年というのは、あまりにも割に合わないものなのです。

逆求人イベントを中心とした就活(のようなもの)をしているうちに、縁があって高専時代の後輩に会いました。彼は前線でバリバリと活躍するエンジニアで、話を聞けば聞くほど、2 年 3 年という時間を研究に費やすことに焦りを感じ始めました。わたしがのらくらとモラトリアムに甘んじている間に、彼らはどんどんエンジニアとしてたくましく育ち、自分の成果を世に問うているのです。

わたしの腹は決まりました。大学院を辞めて、社会人として、本気でエンジニアリング一本にしぼろうと決意しました。

大学院を辞めるにあたって

わたしがスッパリと大学院を辞めることができたのも、本当に運がよかったとしたいいようがないです。

おかげさまで、結果的に憧れだった株式会社クックパッドに新卒として内定をいただき、かつ 10 月からアルバイトとして働けることになりました。これで、大学院を辞めたあとの食いぶちをつなぐことができました。

また、昔からお金のかかる趣味を持っていないこともあり、引っ越しの費用や、新居とそれにかかる諸費用、家具の購入資金など、それらをまかなえるだけの貯金がありました。学費も高専の頃から親に一銭も出させていないこともあり、それを理由に辞めることを止められることもありませんでした。

クックパッドで1ヶ月働いてみて

なによりも、晴れやかな気分で毎日を送れることに感謝しています。コンシューマ向けのサービス開発が初めてということもあり、仕事は決して楽ではありません。しかしながら、研究室で半分腐りながらゾンビのような生活していた頃よりも、イキイキとした自分を感じられています。

また、毎週ちゃんと土日に休みなのもありがたいです。大学院にいたころは、平日も土日祝日も分け隔てなく、研究したり生きるために仕事をしたりしていて、週休0日の週もザラでしたので。

ただし、この選択が本当に良かったのかどうかはまだわかりません。いつか博士後期課程を修了していたほうがよかった、と後悔することがあるかもしれません。でも、これはわたしが考えに考えて選んだ道です。そして、我慢して2年3年と学生を続けていても、それは別の後悔を生むことになると思います。

わたしの納得のいく形でケリをつけて新たな一歩を踏み出したので、この選択によって犠牲にしたものを無駄にしないためにも、日々精進して過ごしていこうと思っています。